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「秀長」を読んだ
を読んだ。
自分は日本の歴史に疎く、戦国武将など名前を聞きかじったぐらいのものだけれどこれがどうにももったいないというか恥ずかしいというか、そういう気持ちになったのはふとしたきっかけで「天王山」の意味を調べたときだった。
よくスポーツニュースで耳にする「天王山」。
天王山トンネルが込みやすいから抜けるのが大変って意味なんかな~、などと言う話を冗談半分旦那としながら当のトンネルを通っていたときのこと。なんかどうもソレは違うだろ、なんか歴史的な意味があるような気がする、と思いケータイで調べてみたのがはじまり。
天王山といえば実家からもよく見える山で、自分にとってはなじみの深い風景だ。そんなところであの羽柴秀吉と明智光秀が天下分け目の決戦を行っていたなどとは、恥ずかしながらいっさい知らなかったのだ。もともと興味がなかったから聞いた話も記憶していなかったのかもしれない。
そんなわけで多少ゆかりのある歴史人物の話から読んでみようかなあという気になったのである。で、秀長。なぜ秀吉じゃなく秀長なのか。
秀長は秀吉の実弟であるけれど、戦国武将のなかでは一般的にはいまひとつイメージの薄いややマイナーな武将らしい。がしかし今私の住む大和郡山に関わりの深い人物だ。大和郡山城を建て、晩年をすごした殿様そのひとである。まあマイナー武将でもあのお城に住んでた人だと思えばきっとイメージが涌くから読みやすいだろうというところからだ。
だがしかし読み始めてのっけから、実はこのひとマイナー武将だけどじつはもの凄い手腕の人物であったのだということ。やがて天下人となる秀吉の補佐役となることに徹し、自らの手柄を見せびらかそうとはしなかったのだ。そしてこの人なくしては秀吉の栄光も有り得なかっただろうというほどの。
いやはやこの本は面白かった。秀吉でも信長でもなく秀長という立場からの物語ゆえ、天下人となる信長や秀吉・家康が際立ちすぎることなく客観的に描かれていてとてもわかりやすい。
ところでこの本はあのカッコイイテーマ曲のイメージが強いNHK大河「秀吉」の原作となった本の一つでもあるそう。(ああー今からもう一度見たい…DVDはないらしく残念…)
この物語クライマックスになっている羽柴秀吉×柴田勝家の合戦の場である賤ヶ岳・そして余呉湖のある町は母方の実家である。
母の実家近くの「賤ヶ岳」、私の生家から見える「天王山」、そして今住む「大和郡山」いずれもこの人と深い関わりのある土地であるというのは、妙な縁を感じないでもない。
さて自分は家中では嫁として、カルテットではアルトパートとして、いわば「補佐役」としての立場での立ち回りが多いわけで。身勝手でデキの悪い補佐なのでよくまあ殿に見限られないなあと思いつつ、秀長さんのように上手くできるようになりたいもんです。
しばらく戦国かぶれかなあ、ことしのNHK大河「お江」はもれなく録画していこうと思います。
最近本の虫。
まぁ涼しくなれば鎮静化するんだろうけど。
いったいどこにサナギ作ってるんだろうかノシメコクガ。
さて、今日は出かけるのに携帯電話を忘れてしまった。そんなに困るもんでもなかろうなどと思っていたが、そんな日に限って着信5件、留守電1件にメールが3。
まあいずれもレッスンに遅れますとかの生徒さんの伝言なのだが。
そして家に帰りの連絡をしようと、駅の公衆電話へ赴くと「ただいま硬貨は使えません」と張り紙。テレホンカードなどという遺物はもってないので、帰りの連絡もできず。なんかやっぱり、携帯がないとやってけない時代になってしまったのだなあ。
それにしても公衆電話の少なさにはおどろく。もうちょっと置いててもいいんじゃなかろうか。携帯電話がいかに浸透してると言ってもなぁ。
読んだ本紹介
ナチ将校の妻―あるユダヤ人女性:55年目の告白
著者エーディト=ハーン=ベアはオーストリア、ウィーンに暮らしていたユダヤ人女性。第二次世界大戦のナチスによるユダヤ人迫害を、自らの正体を隠してドイツ・ブランデンブルグに潜伏することで逃れた。
物語としてとても面白い、等と思ってよく考えるとこれはフィクションではないのだ。そう思うと実に恐ろしい話。