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デュオたんとCD

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デュオたんとファーストアルバム「T A N T O」リリース

デュオたんとCDうらばなし「鳥取高等女学校 校歌」

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【考100】041 いじめ

ちょっと順番を飛ばしていきなり41番目のお題。

現在秋田の小学生殺人事件について、容疑者となっている例のある女性のことがワイドショーなどでかなり報道されているので書こうと思った。
ショッキングな事件がおこると、必ず、その犯人の過去について、コメンテイター数人が云々するというのが常。今回の事件でも、この容疑者が少女時代ずっといじめられてきた、ということについていろいろといわれていた。
たとえば「この人はいじめに会ったっていうけど、秋田みたいな田舎ではそんなことない、本人の思い込みじゃないか」だとか。
こういうわかったようなことを言う人は、いじめられた経験のある者にとっては、はっきりいって不快だ。いじめられた者の気持ちなんてものはいじめられた者にしかわかりようがない。
(誤解のないように言っておくと、いじめられたから捻じ曲がった人間になって犯罪を起こしてもしょうがないということを言っているのではない)



自分自身、保育園・小学校の頃に随分といじめられた。といっても「随分と」だなんておそらく当時近くにいた人間はだれも思わないだろう。実際に殴られたとか、何かを盗られた、というような実害はほとんどなかったのだから。だからといって「それはたいしたいじめじゃない」と言えるのか?
特に学校内でのいじめというものはまずもって大人の目の届かないところで起こる。体に傷があったり、物を無くしていたりという外からみえるような実害はないように、心だけを傷つけるようないじめほど苦しいものはない。

実際なにが起こっているのかをリアルにきちんと言える人間は「いじめられている人間だけ」なのだが、そのことを話すだけでも随分とつらいものだ。

良く見かける「いじめられる側にも原因がある」という説。わからないでもないが、やはりいじめる側の言い訳にしか聞えないような気がする。無論、目をつけられる子供にはいじめの対象となる素因はあるに違いない。だが「いじめられる原因があるからいじめてもいい」という考えをいじめる側の子供が免罪符としてもってしまうことほど危険なことはない。罪悪感をもたずにおればおのずといじめは必ずエスカレートする。

たとえばいじめを見つけた教師が、いじめっ子といじめられっ子を呼んでそれぞれにこう言ったとすれば?

「いじめはダメじゃないか」
「おまえもいじめられるような弱い態度をみせるからだ」

明らかにこれではいじめはなくならないどころか、いじめっ子はますます血気盛んにいじめにはげむだろう。いじめをなくすには喧嘩両成敗では絶対に裁くことはできない。

さて自分の過去の話。
小学校6年の時、いじめが苦痛で学校を何日か休んだ時に、先生が家に来てくれたことがあった。若い男の先生で熱心な人だったのだが・・・。
「なにをされているのか」と聞かれ、「無視されたり、汚いって言われたり」これだけ話すのに随分と勇気がいったし話すだけでもかなりの自尊心を傷つけることになる。
「だれが?」という問いに対して、「クラスの男子全員です」と答えた。が、先生の答えは「それはないだろう」。

もうここでそれ以上話す気にはなれなかった。

「たとえばT君もか?」
T君は明るい、どこか幼い感じの子だった。が、いちいちだれが自分を無視してしなかったかなどということは考えたくもないほどに、クラスの男の子のほとんどが私を避け、休み時間になると隣接していた机をわざと離したり、近寄らないようにしたりということがあった。
むろん、そうなるにはある一人のボス的存在の男の子があり、彼のあらぬ噂話の流布によってそうなってしまったのだったが。

先生からすれば、私も彼も、そしてクラスメイトみなは同じ立場として扱ってやるべきと思っっての言葉だったのだろうけれど・・・、明らかにこれでは私の話はもはや信じてもらえていないんじゃないかとしか考えられなかった。
今思い返せばあの時に自分が言って欲しかったのは「それはつらかったろうね」というようななぐさめの言葉と「おまえは汚くなんかないのだから自身をもて」という言葉だったのだろうと思う。

人はいじめられたら深く傷つく。そのときに傷を癒し、前向きに自身をもって生きる力を与えられるひとことがあれば強くなれる。
ということを心に置きつつ、親として大人として、子供のいじめに会った時にどうしてやるかということは、また悩む日がくるのかもしれない。

なんか文章うまく纏まらなかったなぁ orz
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