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阪神大震災から18年
震災の当時私は大学一回生でした。ということは、私の人生の半分になるのだなあ、としみじみ思っておりました。
京都の家ではもちろん相当の揺れはあったものの実害は殆どなく、今の世の中にこんなクライシスが起こり得るものだったのか?と、ただただ夢を見ているかのような信じられない気持ちでテレビを見ていたものです。
とあるつてからボランティア活動にも参加しました。
震災の日の4~5日後だった気がしますが、赴いた神戸の町へは交通も麻痺状態でたどり着くのにも、帰るのにも、5時間ぐらいかかりました。暖房もほとんどないため宿舎がひどく寒く、眠れなかったのを覚えています。
若かった自分、いろいろ考えたような気がしますが覚えていません。
自分は身近な人間が亡くなったりということはなく、それからやはり震災という出来事はずっと、自分の身にはそれほど大きな出来事ではなく、所詮は他人事だったのかもしれません。
震災復興祈念というコンサートシリーズにはじめてトゥジュールで参加させていただいたのが、2004年の3月(当時は三ノ宮にある朝日ホールでした)。そして西宮アミティホールでソロの舞台に立たせていただいたのが2005年の12月。
それからもう、何十回もあの舞台に立たせてもらっています。
いったいなぜ、このコンサートが始まったのか?
事実上、完全に一人でこのコンサートの運営をされている松田さんが、やろうと心にきめたのはどうしてなのか。
こわれた建物をなおすことも、怪我をなおすこともできない音楽で、いったいなにができるのか?
ひとつ。私たちはこのコンサートでは「演奏後には必ず、ロビーでお見送りをすること」を求められました。
それも、すべての演奏が終わりお客様が皆まだ座っている間に客席を通り抜け、すべてのお客様をお見送りできるように。
近頃でこそ様々なクラシックのコンサートでも増えてきた「お見送り」も、当時の自分たちにとってはあまり慣れないことでした。(今ではこれに倣って他のコンサートでもなるべく実行しています)けれどそのことによって、今までに見えなかったものが見えました。
音楽は心をなおすことが、できるんですね。
自分たちの音楽によって表情が生き生きとしてくださっている姿を、目の当たりにし、また生の声を聞かせてもらうということは大きな喜びであり、つよい自信となりました。
震災というものを経験した多くのお客さんが求めているのは、生き生きとした気持ちになること…なのではないかと。だから、このコンサートは「震災復興祈念コンサート」でなければいけなかったのだなあ、と。
そうか、できるんだ。という発見が、
よし、やろう。という勇気となる。
何かを失った心の傷というのは、過去が有る限り、消え去ることはないものかもしれません。忘れることは出来ても。それでもまた花を咲かせることが、音楽にはできるのだと私は信じています。
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